ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2020年4月24日金曜日

寄り添うとは?

沖縄県浦添市の松本哲治市長は、新型コロナウイルスの経済的な被害を受けた市民に寄り添いたいとして、1カ月分の給与の全額を返還することを明らかにした。全国的に見ても新型コロナウイルスの影響で給与を返還する首長は数少ない。歳費返還を検討している浦添市議有志の会から給与カットの提案を受け、松本市長は「政治に身を置く者から身を切る覚悟を示す必要があるとの市議有志の提案に共感し、市民の痛みを共有して新型コロナウイルスにみんなで立ち向かいたい」と考えたとのことである。この松本市長に提案した市議会メンバーも松本市長も市民の痛みを共有するということは、市民と同じ視座に立つということであり、寄り添うということだと思う。

私は人間社会において、人と人が寄り添いあうことができれば、どんな問題も自然法則に基づいた正しい解決がなされると信じている。今、世界中が経済を主とした考えの愚かさと、経済活動だけでは真の幸せは築けないことに気づき始めていると思う。コロナ問題が解決したあかつきには、お金の尺度から心の尺度を基本とした新しい社会ルールによって世界が動き始めるはずである。

今月から新年度が始まり、舞鶴市は新年度から木質バイオマス発電、パーム油を燃料とするバイオマス発電など「持続的で自立的な再生可能エネルギー」を導入し、災害時の非常電源確保、エネルギーの地産地消などの施策を統括するため、生活環境課に「地域エネルギー推進担当課長」を配置、「環境に優しい持続可能なまちづくり」を目指す。と表明している。

先日、日本を代表するベンチャーキャピタルの役員とのミーティングにおいて、パーム油火力発電はバイオマスのカテゴリーに入れないというのがキャピタリストの常識になっており、ベンチャービジネスに値しない事業であるということであった。要するに舞鶴は世界の動きに逆行しているということである。

さらに舞鶴市の生活環境課には三つの係があり、特に注目したい環境政策係では環境基本計画の推進、地球温暖化対策に関する業務や公害対策など、市民の皆さんに快適で住みよい環境を提供するため、廃棄物の処理や環境保全の仕事を中心に取り組んでいます、としている。

喜多地区だけでなく舞鶴市民にとって大きな問題であるパーム油火力発電は健康に良くない匂いという廃棄物と共に騒音を出す。これらの対応のためにも環境政策係があるというのであればパーム油火力発電をつくらなければこの環境政策係も地域エネルギー推進担当課も作る必要はないということになるのではないだろうか。
 さらに年間消費量12万トンのパーム油を作るためにインドネシアやマレーシアに於いて舞鶴市の全面積の約80%の自然森林の環境破壊が加速する。舞鶴市の地球温暖化対策とは何を意味しているのだろうか?舞鶴の環境だけではなく我々に関わる世界の環境に目を向ける必要はないということだろうか?非常電源確保の手段はパーム油火力発電じゃなければならないのか?地産地消というのなら大浦地区の方々には申し訳ありませんが石炭火力発電が既にあるのだから、その電気を地消すれば足りるのではないだろうか?

先日の市議会でパーム油火力発電についてY議員は「舞鶴の人口の歯止めをかけるためにも、市の勢いをつけていくためにも、このような新しい産業や企業誘致は舞鶴に作り続けていかなくてはならない」と言っています。パーム油火力発電により、地元地価の下落、地元住民の転居による人口減少、騒音・臭気による健康被害と医療費の増加、そして何より福井小学校の校門前の道路に7万7千ボルトの送電線を埋めるという日本では例のない子供の健康を大切に考えない、こんな非人道的な産業を本気で作り続けることを正しいと考えているのでしょうか?

どうか多々見市長はじめ、市長に忖度を続ける市議会議員の皆さん、今一度、胸に手を当て、お金の物差しを外し、心の物差しで冷静に考えてみていただきたい。あなた方の行動は浦添市の市長や市議のように舞鶴市民に寄り添っていると心から宣言できますか?

市民の皆さん、私はコロナ問題が落ち着いたら全ての舞鶴市民に向けての住民説明会を開催するべきであると考えますが如何でしょうか。

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2020年3月27日金曜日

オリンピック開催中止から描く、本来の地球というステージ

3月17日未明のG7の報告で安倍首相は「東京オリンピック・パラリンピック(以下TOPと称する)は完全な形で実現する」と伝えた。これは世界中の選手が公平に参加できるという完全な形が整うまでは開催しないということであると理解している。私は2011年3月11日の東北地震による福島原発事故の発生以降、世論に反して開催地として日本の東京が立候補することに違和感を覚え、無理な開催に対して大きな歪みのエネルギーが発生し、これによって開催に困難が生じるとの思いを発信してきた。そして3年半前のこのコラムの13号ではTOPを辞退すべきであることを、さらには1年前の42号では「復興オリンピックという名の違和感」というタイトルで私見を記させて頂いた。私の考えに批判的なご意見もあると思うがなぜこのように感じるかというと、地球上における日本の現状を「魂の物差し」による判断基準に当てはめれば東北の復興という命の尊さを置き去りにした状態(3月10日現在での避難生活者47,737人)でのTOPの開催に対して宇宙(地球)の大きな見えざる力が作用し、正しい道にリセットするという浄化機能が働くことになり、地球環境の一構成要素に過ぎない人間の力ではコントロールができない状況に陥ると感じたからである。

私は今まさに損得の物差し(経済尺度)を外し、魂の物差し(宇宙法則)で現実を直視し、大きな見えざる浄化機能にすべてを委ねるというチャンスを神と称するに値する宇宙法則による力によって世界中に気づきをもたらしてくれていると思うのである。

スピリチュアル的な視座に立つと原発問題と新型コロナウイルスを合わせたTOPとの関係は全人類に向けた公平なアッセッション(次元上昇)メッセージであると表現することができると思う。

ここでオリンピックを誘致した際のことを思い出していただきたい。「世界一コンパクトな大会」にするとして政府と大会組織委員会が「国の負担分」や「関係予算」として公表してきた額は2880億円だが、費用は大幅に膨らみ、会計検査院が昨年12月4日に公表した集計によると、TOPの関連事業に対する国の支出は、すでに約1兆600億円に達している。国の支出以外にも、東京都が道路整備なども含め約1兆4100億円、さらに組織委員会が約6000億円を支出することになっており、オリンピックの関連支出は3兆円を超す巨額にのぼることが明らかになった。実に当初予算の10倍を超える費用である。予算の10倍を超えるというこんな無茶苦茶な事業を行うには一部の人間が儲かり、欲を満たすための仕組みになっていなければ成せる事業ではないということであり、それは同時にオリンピック精神とはかけ離れたものであるということに気づかねばならない。

 ここで、近代オリンピックの提唱者であるクーベルタンの言葉として「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」という有名な言葉がある。実はこれはロンドン大会(1908年)中の日曜日に、セントポール大寺院の主教が礼拝のために集まった選手を前に述べた戒めの言葉であり、「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」と考えていたクーベルタンはこの言葉に感動し、イギリス政府主催の晩餐会でこの言葉を引用して「人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること」というスピーチを行い、それ以後オリンピック精神を表現する名言として世界に広まったのである。それにも拘らず、今マスコミの報道は延期・中止は「経済的な大損失」と「出場選手にとって死活問題」というコメントばかりである。

今一度クーベルタンの発したオリンピック精神の原点に回帰し、加えて経済尺度を優先したことにより今なお解決していない福島原発事故という教訓を生かし、宇宙法則に則り、負の歪んだエネルギーが積みあがる延期ではなく中止という潔く正しい判断と、それに伴う世界中の人々の勇気ある行動こそが平和で穏やかな本来の地球というステージを子孫に残すことに繋がると私は信じている。
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2020年2月28日金曜日

損か得か人間の物差し 嘘かまことか仏様の物差し

詩人である相田みつおの名言に「そんかとくか人間のものさし うそかまことか仏様のものさし」というのがある。私たちは自分の価値観にあった様々な物差しを持っており、その物差しが常に自分以外の他人の視座に立ったもので、その他人の喜びを自分の喜びとするということができれば、そこには損得の物差しは無く、利他の心が実践できているまことの状態であると思う。常にまことの物差しで生きることができれば迷いや争いは激減することと思う。損得の物差しの目盛りは人それぞれの価値観によって大きく異なるが、嘘かまことの物差しには目盛りは無く、すべての人にとって平等であると共に白黒だけでグレーが無く単純明快である。

商業界という商道徳を学ぶ場があり、その創始者の倉本長治は「損得より先に善悪を考えよう」という言葉を残しているが意図するところは相田みつおと同じであり、この考え方こそ心を大切にする人間という生き物の原点だと思う。

嘘と言えば、もう多くの市民がご存知のことと思うが、多々見市長から私のこのコラムの内容に対して「嘘を書くな!」との圧力がかけられた。このことに対しFMまいづるでも説明させて頂いたが、私のコラムのどこが嘘だとお考えなのか、その部分を書面でご指摘いただければ真摯にその部分を精査し、もし私が嘘を書いていたなら謝罪させて頂きたいと思っている。もし書面の提出がない場合並びに私の記事が嘘であるということが証明されない場合はしかるべき対応をとることが、より良い舞鶴を創る上において最良の方法であると考えるが皆さんは如何お考えだろうか。

さらに私のコラムに嘘が無いとなると、昨年ドクターTのひとりごとに対する記者会見で「少数意見を排除するとは書いておらず…」と市長は答弁されているので、この私のコラムの掲載を止めさせる要求やラジオ番組の内容変更の要求はまさに少数意見を排除する行為そのものであると思う。憲法21条には表現の自由を妨害する行為、検閲、事前抑制をしてはならないと明確に謳われている。仮にこの行為が安倍政権によって行われたとすると野党はすぐさま謝罪を求めると共に政権の交代を要求するだろうと思う。舞鶴市においてならこの行為が許されていいのだろうか?

より良い市長として市政運営に取り組んでいただく上でお願いしたいのは、常に公平公正を基本とした市民ファーストの実践であり、党利党略や地位名誉を含んだ損得の物差しではなく嘘かまことの仏様の物差しを優先して頂きたいということである。

現在の舞鶴は医療体制の緊急なる改革、こどもを主人公とした全てのこどもに寄り添う教育の実施、パーム油火力発電に対する冷静な判断、等々多くの市民にとって命に関わる問題を抱えています。だからこそ今、私達市民も自分たちの暮らすまちをより良いものにするため、市政に関心をもって頂き、少数意見が正しく反映されるよう勇気ある行動を続けて頂きたいと切に願っている。
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2020年1月24日金曜日

貫いて やり通す

1月7日に舞鶴商工会議所の新年互礼会があった。その場で思いもかけない方々から「最近市民新聞読むのが楽しみになってきた、記事内容に賛同です。声には出せないけど応援しています!」「今のまま信念を貫いて色んな力に負けないでやり通してください、期待しています!」とのお声をかけていただいた。ここでふと「貫いてやり通す」とはどういうことなのかと考えてみた。要するに貫通ということであるが、これは山を貫通してトンネルをつくる、というように使われ、完成したあかつきには必ず光が差し、つながり合うことができるということだと思う。そう考えると今の舞鶴は暗闇の中ということになり、希望という光が差していないということになる。多くの市民がこのように実感しておられるからこそ私のような非才な者の文章に光を見出そうとしていただけていると思う。市長及び与党議員のお立場に立つと、「なんと高慢な表現だ!許せない!」ということだろうと思う。

私にエールを送って頂いた方々は過去現在に亘って、舞鶴のリーダーとして政治や経済をはじめ様々な分野で貢献されている方々も多く存在する。それだけにお立場上、本音を晒すことに抵抗を感じておられるということだと思う。しかし何事にもターニングポイントという大きな変化のチャンスがあり、現状維持ではなくチャンスを活かす行動が必要になる。関わる人々の喜びを基本とした住みよいまちづくりを創造するチャンスが今まさに舞鶴に訪れていると考えるべき時なのではないだろうか。様々な既得権益に振り回されているように見える現状を、お金の尺度から心の尺度へとシフトする改革が今の舞鶴に必要だと多くの市民が気づき、思い続けておられるからこそ、小さな声ではあるが、確実に私にお届けいただいたと感じている。

ありがたいことだと思うのだが、私のこの寄稿文に対して市民新聞社宛てに激励と賛同のお声以外、一件の反論も届いていないと伺っている。市民新聞は松本社長の理念によって公平で公正な報道基準が順守されており、これは当たり前のことだと思うが、多くの報道関係者ができていない「困難な当たり前」なのであると感じている。私の文章に対しても「反論があればいつでも掲載します」というスタンスを持ち続けて頂いているからこそ、市民の皆さんの本音が徐々に見え始めてきたと判断してもいいと私は思っている。このコラムを今日まで続けさせて頂いているがそろそろ市民の皆さんによって、より良い舞鶴を目指した具体的で目に見える小さな一歩を踏み出していただきたいと思うが、皆さんは時期尚早とお考えだろうか。

改めて貫通のゴールを考えると次回の市会議員選挙と市長選挙ということになるのかと思うが、望むべきは一日も早く「ドクターTのひとりごと」の不備を市民の視座に立って反省をし、市民の声なき小さな声に寄り添う気持ちを実践して頂くことだと思う。

1月10日に京都銀行の新春講演会があり、演者の日本電産の永守会長に弊社商品について質問をさせて頂いた。5年前にお渡しした弊社商品の感想を頂くことになっていたのであるがご多忙で頂けていなかったからだ。しかし永守会長のお返事は「あんたが落ち込むからここでは言わん!説明に30分はかかる」ということだった。私は「厳しい意見もいただくことが商品開発に繋がりますからお願いします」と伝えたが、打ち切られてしまった。このままでは納得がいかないので、その後どのようにして感想を聞こうかと思案していた。すると14日に日本電産の秘書室長よりお電話を頂いた。永守会長からの指示で、なぜあの場で感想を伝えられなかったかということの説明と聴講者に対する誤解を与えたことのお詫び的な内容であった。永守会長率いる日本電産グループは世界で14万人以上の従業員を擁し、目覚ましい成長を遂げられている一方、京都学園大学を革新的に変化させ、京都先端科学大学として生まれ変わらせつつあるすごい経営者である。しかし私は永守会長の言動に対し反面教師にさせて頂いているところが多い。反面教師というと悪いことのように受け止められがちだが、根本的に尊敬していなければ反面教師にはなり得ないと思っている。

なぜここで永守会長の話を書いたかというと、世界の著名な経営者の中でもあれほど自己中心的な言動を発する人はいないと言われる永守会長であるが、この度の一件のように相手を思いやるそれなりの大きな優しい心があるからこそ世界規模の企業になられたのだと思う。多々見市長並びにその関係者にも参考にしていただきたい最適な事例だと考え、永守会長のエピソードをご紹介させて頂いた次第である。

少しでも早く貫通というゴールにたどり着くには、読者をはじめとする市民おひとりお一人の舞鶴をよくしたいという小さくても力強い具体的な行動を切に願っています。そこで

2月11日10時半~12時に市民プラザでFMまいづるの私の番組「寝ても眠れない日本人へ」の100回記念公開収録を「より良い舞鶴をめざして!」をテーマに開催します。多々見市長はじめ一人でも多くの市民のご参加をお待ちしています。

最後になりましたが1月11日に開催いたしました「聖母の小さな学校創立30周年記念事業」にご出席並びにご支援を頂いた皆様に心から感謝申し上げます。

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