ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2014年7月8日火曜日

目的と目標(その8 原 信太郎氏の葬儀)

2014年7月8日、弊社の社外取締役である原 万理さんとその兄で弊社の株主である原 丈人氏の父、原 信太郎氏の葬儀に参列させていただいた。祭壇には自身で作られた機関車の模型が飾られていた。2012年に開館した横浜の原鉄道模型博物館にその多くのコレクションが展示されているが、この祭壇に飾られた作品はまた特別のものに感じた。生涯で1500車両を作製し、4500車両を購入し合計6000車両がコレクションの数である。鉄道模型と言ってもその精密さは一般的な模型とは比べることさえ失礼といえる技術が駆使されている。この技術こそがコクヨがスチール家具のトップメーカーへと成長していく根源となった技術なのである。コクヨの専務としての現役時代の原 信太郎氏の活躍は多岐にわたる。
私がある日、万理さんを訪ねて原宅に伺った時、「田中君もう少し早く来ればジョージに会えたのに、先ほど彼は帰ったところだよ。」その後の話の中で、ジョージとはその当時のアメリカの国務長官のジョージ・シュルツ氏であることが判った。ちょうど前日、京都の国際会議場で行われていた会議に出席されており、信太郎氏のコレクションの凄さを噂に聞き、夜の晩餐会が終了した後、車を飛ばし芦屋まで機関車を観にやって来たとのことで、徹夜で語り明かし、帰って行かれたとのことであった。ジョージ・シュルツ氏は当時のアメリカの鉄道模型の協会の重鎮であり、そのジョージ氏が「これほど素晴らしいコレクションを見たことがない、世界で最高のものだ」と絶賛されたとのことであった。
原 信太郎氏は大学の同級生として知り合った万理さんの父であった。それ以来、38年のご縁を頂き、その中で「人生を楽しみながら、人を喜ばせて自分が喜べる生き方」というものを教えていただいた。現在の私の人生哲学の基本を教えていただいたことに改めて気づかせていただくことが出来た葬儀であった。
無宗教の葬儀スタイルを望まれていたとのことで、故人の意思を尊重し、お別れの会といった葬儀スタイルであったが、喪主の丈人氏をはじめご家族のあたたかさを随所に感じられる感動的な葬儀であった。葬儀とは何のために、誰のために行うものなのかということを学ばさせていただくことが出来たと思う。
喪主の挨拶の中で丈人氏から信太郎氏のエピソードが語られた。「父は晩年まで人生を通して牛肉とコーラしか食べませんでした。それでも95歳まで大きな病気をすることなく元気に生きてきました。ある日、友人から『原さん野菜を取らないとだめだよ。体を悪くするよ!』と忠告された時、父は『大丈夫!牛が野菜を食べてるから!』とジョークで答えていました。」この一言で葬儀という悲しみのイメージが一転し、微笑ましさと共に心あたたまる感動的でより原 信太郎氏らしい葬儀となったのである。

私なりの勝手な表現をさせていただくなら、今日の葬儀は「脱皮の儀式」と表現させていただきたい。ある崇高な魂が原 信太郎という肉体に宿り、95年という年月をかけてその肉体を完全なまでに燃焼させ、その間に縁のあった人々に多くの気づきを与え、時には人生の目的を共有しながら生き抜き、その肉体を脱皮し、再び・・・いや、95年前よりもっと大きく、そしてよりピュアな魂となって新たな世界へと旅立たれたように受け止めた。葬儀の最後は丈人氏より、「父の求めた、人を喜ばせて自分が喜べる生き方を、これからも皆さんと共に実践していけるよう努力したい」との言葉で締めくくられた。この葬儀に参列された多くの方々にとっても、自分の生き様を見直し、心新たに人生の目的を再認識させていただくという素晴らしい葬儀であったと感じている。
一般的な葬儀マニュアルに則った進行というものは、葬儀を行うという目標は達成できるであろうが、葬儀の目的ということを深く見つめ直した時、マニュアルの実践だけでは味わえない感動が今日の葬儀では随所に存在していた。真に心から感謝合掌の思いである。

原 信太郎氏のエピソードについては私の著書「寝ても眠れない日本人へ」にて紹介させていただいているので、ご興味のある方はご連絡いただければ幸いです。
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