ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2018年3月26日月曜日

お金の使い道と儲け方

 先日、大阪府社会福祉協議会から講演の依頼があり、いつもながら朝方のレム睡眠のタイミングで話の構想をイメージしていた時、「道」というキーワードを強く感じた。福祉事業の実務における原点にはやはり「利他」の心が存在し、それを道徳教育として伝え承継されていると思う。道徳のように「道」の付く言葉といえば武道・華道・茶道など多くの言葉があるが、これらはどれもそれぞれ目指すべきものは同じであると思う。その目指すべき究極の目的とは作法を基本として心技を磨き極めるというプロセスを経て、多岐にわたる視座に立った愛情の豊かな人間として幸せに生きることだと考えると、これらの道はすべて道徳ということにもなると思う。

ここで、お金にも使い道という「道」があることに気づいた。金融機関に融資を申し込むと必ず「使い道は何ですか?」と訊ねられる。何に使うかによって融資するかしないかを判断するわけで、金融機関が正しい使い道だと判断しなければ融資は受けられない。「道」というものは常に正しさが問われる側面が存在するように思う。そしてすべての「道」にはその「道」を歩む主人公の人柄が表現されるとも思うのである。お金の使い方がきれいで上手な人の周りには多くの人が集い、心豊かな人間環境という幸せな境地が永続し、そこにはおのずと「道」が築かれていくものだと感じている。世の中にはお金持ちはたくさん存在するが、単なるお金持ちというだけではこの境地に至らないばかりか、そのお金持ちの人の人間環境は「金の切れ目が縁の切れ目」を当然とした考え方の人達の臨時集会のようなもので長続きすることはなく、不安と疑心暗鬼と争いが付いてまわっているように思う。

お金というものは、たくさんあると便利なように思いがちだが決してそうではない。使い道が明確でなければどんなにたくさんのお金に囲まれていても心からの真の幸せは実感できないと思う。所詮お金は道具であり、その道具の使い方次第で豊かな生き方もできれば、不幸にもなるものである。「足るを知る」という感謝の思いがあれば適正な道具というものがおのずと理解できるはずである。

お金の儲け方という表現は存在するが、儲け道という言葉は存在しない。ということは儲け方というものはそれだけで道になり得るだけの奥の深さがあるのではなく、幅の広い様々な方法が存在し、その時々の時代背景や価値観によって多様に変化するものであることから、儲け方を使い道のプロセスの一つとして解釈することで、その儲け方の正しさの尺度も理解できると思うのである。使い道のプロセスという視座に立って儲け方を考えてみると、儲けるという文字は信者と書くように嘘偽りのない誠実な心を基本として人と接しなければ信者は生まれないということをも気づいておかなければならないと思うのである。
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