ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2012年10月1日月曜日

目的と目標(その5 本当の介護)

日本で最も大きな福祉関連の展示会(国際福祉機器展・HCR)が9月26日~28日に東京ビッグサイトで開催され弊社も出展した。三日間の全来場者数が108,505人で、とてもありがたいことに弊社ブースには予想以上のお客様にお越し頂き、カタログは7,000部を超えてお持ち帰り頂いた。弊社はカタログの手渡しは一切しないので、全来場者の7%近い方々が自ら弊社のカタログをお持ち帰り頂いたことになる。弊社商品のジェルトロンに興味を持っていただけてことに改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。

ブースではジェルトロン マットレスを試したいというお客様で今回も順番待ちができた。残念なことに試す時に靴を履いたままの人があり、脱いでいただくようお願いをするのだが、様々な事情(靴下が破けていたり、靴の紐を結ぶのが邪魔くさい等)があろうとは思うが靴を脱がない人が稀にある。しかし「ジェルトロンは踵の床ずれ対策に効果的であるため、靴を脱いで踵のリラクゼーションを体感して頂きたい。」というお願いをする。靴を脱ぐのに時間のかかる障害者の方でも実際の使用感を試そうとして脱いでいただけるにもかかわらず、看護士やヘルパー等の介護従事者が靴をいちいち脱ぐのは邪魔くさいと言って、脚部をマットに載せないまま上半身だけマットにつく姿勢で寝ているから、私は「貴方は自宅で靴を履いたまま両足をマットレスから出して寝ますか?」と訊ねると、せっかく寝てやっているのにうるさいなぁ!という顔をしながら「このマットは柔らか過ぎる。踵が何だよ!」という。在宅の寝たきりの人の14.9%が踵周りに床ずれを作ってしまうというデータが報告されているにもかかわらず、踵のケアの重要性を理解していない。私はそんな人に接すると「わざわざ展示会に来ていながら靴を脱ぐというささやかな労力をなぜ行わないのか?何の目的をもってここに来ているのか?」と感じてしまう。

また、ジェルトロン マットレスを試した看護士の方から「確かに素晴らしい機能だが、このマットは硬綿マットレスより膝がつき難いから患者の体位変換がし難そうだからダメだ。」と言われたことがあった。そこで「床ずれのステージ4(仙骨部に骨が出ているような重症)でも対応できた実績のあるマットレスです。同じような機能であるエアーマットと比べてみていただければ膝もつきやすいと思いますが、如何でしょうか?」と訊ねると「確かにエアーよりもいいかもしれないが、とにかく介護しやすいものでないとダメ。」という。それなら「貴方のご両親もしくは貴方自身がが寝たきりになったらジェルトロンと硬綿とどちらを使いますか?」と訊ねると「その場合はジェルトロン マットレス。」という。この看護士さんも看護士を目指した時、患者さんの介護の重要性より自分が楽に仕事が出来るということを第一には考えてはいなかったはずだと思うが、看護士の目的を忘れて、看護士という仕事を通じて給料を得るという目標を第一に考えるようになったのだと残念に思うのである。

ここで考えて頂きたいのはあくまでも介護という仕事は、介護を受ける人(要介護者)が主人公であり、介護をする人が主人公になってはならないということです。先に述べた靴を脱がない人というのは、真剣に要介護者の立場に立ってマットレスを体験しようとしていないということです。全身全霊を研ぎ澄ましてマットレスを体験しようという心を持たず、適当な気持ちでそこそこに試しているとしか言えないと考えます。このような心構えで真心のこもった本当の介護が出来るでしょうか?

と言いながらも、介護という仕事(行為)は大変な労力を必要とします。ですから介護を少しでもしやすくするための研究を私達は進めています。かなり高機能なマットレスへとジェルトロンは進化してきています。しかしながら、ジェルトロンに限らず、どんなに素晴らしい機能を持った商品であっても最終的にはそれを使いこなす人の心の中にしっかりとした目的意識が無ければ人の役に立つと言う結果は導き出せないものだと感じています。
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2012年7月1日日曜日

目的と目標(その4 真の政治家)

少し前に地元選出の衆議院議員の小原舞さんから「民主党の党員になってもらえないか?もし党員が無理ならサポーターでもいい」という依頼を受けた。私自身は小原舞議員の活躍に期待しているから小原さんをサポートする意味でサポーターになった。現在、小沢一郎を筆頭に民主党の議員自身が離党しようとしている状況であり、党員自身が民主党に見切りをつけようとしている中でなんで我々一市民が民主党の党員になれるであろうか?我々経営者からすると金額を記入しないで手形を振り出すようなものだと思う。

今日大飯原発が再稼動した。今の政府は再稼動までにすべきことを怠ったままの見切り発車であることは、賛成派も反対派も全ての国民が認めている。あくまでも金というモノサシに振り回されてしまい、真の国民生活の平和と豊かさを見失っているといっても過言ではないと感じている。

昨年の末に民主党の京都大会があり、小原議員の支持者として参加した。そこで民主党の最高顧問である藤井裕久議員が「民主党議員の皆さんは政治家として50%の力を注ぎ、政治屋として50%の力を注いで活動をしてください。要するに国民のことを考えた政治家としての活動は50%で、そして次の選挙に勝つための政治屋としての活動を50%行うべきである。」という挨拶をしたのである。そもそも国民の喜びを我が喜びとして100%の力を注いで活動することによって、結果として多くの国民が支援することによって真の政治家が生まれ育つものではないのか。政治家としての評価は全て国民にゆだねるべきであり、自ら自己の地位の保全を目指してはならないものではないのかと考える。この挨拶に多くの参加者が拍手をしていたが、私はこの時に民主党に期待はできないと感じ、拍手はとてもできない気持ちになった。あの挨拶に拍手を送る支持者という一部の国民がいる限りすべての国民にとって最善の政治は望めそうに無いと実感した。

要するに「100%全力で政治家として国民の喜びを目的とした活動はしません、そして自己の地位の確保という目標達成のために議員活動の半分の力を注ぐことを目指します」、と明言する政治屋としての本当の姿を垣間見たと感じている。政治屋は当たり前のように「国民のための政治を・・・」というがとてもその言葉が実感できない。なぜなら「人の為と書いて偽りと読む」とは昔から言われている。真の政治家には「国民の喜び=我が喜び、要するに政治家として自分自身が喜ぶために国民の喜ぶことに最善の努力をし続ける」としっかりと明言し続けてほしいものである。政治家としての既得権益や収入を重要事項として考えているようでは、それは政治屋であり真の政治家には程遠いと思う。

どんな仕事でもお客様の喜びを我が喜びとして100%全力投球で仕事をしている人の背中からは感動が伝わってくる、しかし50%の力で仕事に取り組み、金を儲けることに50%の力を費やしている人の背中からは感動どころか哀れさを感じるのは私だけであろうか。
「素人には政治はできない」と答えた政治屋がいたが、この言葉を発した玄人の政治屋自身が今の日本にしてしまったという事実にまだ気づいていないのは国民として悲しいことである。もうこれ以上、政治屋に国を任せることはしたくない。真の政治家を選び、育てなければならない時にきていると思う。

大飯原発再稼動反対のデモのパワーが新しい真の国づくりのきっかけになることを祈りたい。
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2012年5月31日木曜日

目的と目標(その3 原子力発電)

今日、大飯原発の再稼動が現実的になった。

日本人の多くが福島原発の事故が起こってはじめて放射性物質による人体への危険な影響を真剣に考えるようになったわけだが、事故が起きる前から心ある人々は原発を「トイレの無いマンション」という表現でその危険性を重要視してきていた。原発に於いて使い終わったウラン(プルトニウム)の処置がしっかりとできていないまま今日に至っているということである。そのうち処理できるようになるだろうといった安易で人任せな取り組みが40年もの期間続けられてきているのである。現在の福島第四にはとんでもない量のプルトニウムが壊れた建屋のプールに眠っている。このプールが壊れてしまうと太平洋に汚染水が流出し数ヶ月でアメリカにまで流れて行く。原発事故による一次的な放射性物質の影響だけでなく、このように廃棄物という点を捉えてみても環境に優しい物ではないことは明らかである。

さらに環境について、もう一つの視点を提案する内容の記事が5月11日の舞鶴市民新聞に掲載された。これは京大舞鶴水産実験所の益田准教授の調査報告書である。それによると、北緯35度にある高浜原発の停止前と停止後ではその付近に生息する魚貝類の数に大きな変化があったというものである。稼動中は分布中心緯度が18度から24度までの南方系の魚貝類が生息していたが停止後はそれらは全て死滅していなくなっている。その代わりに34度から38度までの魚貝類が約2倍に増えているというのである。ようするに本来の生態系に戻りつつあるということになる。

なぜ南方系の魚貝類が増えたかというと、その理由は高浜原発の温排水量は1~4号機を合わせて毎秒230立方メートルもあり、その結果付近の水温が2度上昇しているというものである。ちなみに一級河川である由良川の年平均流量が毎秒42立方メートルであるから、230立方メートルというのはなんとその約5倍以上の水量に当たるわけである。この比較をすると生態系が大きく変わることにうなずける。益田准教授は「原発事故の直接的な影響だけでなく、温排水が恒常的に自然に与える局所的温暖化の影響も原発を考える判断材料にしてほしい」と訴えている。

何のために原発があるのか?その目的は?と考えると福島の事故後やっと今まで表に見えてなかったものがあぶり出されて見えるようになったと私は受け止めており、その実態の多くは原子力事業に関わる様々な人間の金銭という尺度に基づく経済活動優先の社会構築であるということである。

本当に正しい視点に立ったエネルギー開発とは何か?まず自分自身が宇宙の中の地球という星の構成要素の一つであるという考えをもつことであり、自分という構成要素は自ずと地球環境であるということである(この発想については私の著書をご一読いただきたい)。一人でも多くの人がこの考えを大前提として、エネルギー開発を再考する大きなチャンスが今おとずれていると考えていただければ、金儲けという目先の利益確保という誤った目標に縛られることなく、真に重要な幸せな暮らしを創造するという目的達成のためのエネルギー開発が実現できると確信している。

最後に、福井県は世界の中でも最も多くの原発が集中的に存在している場所であることはご承知のことと思うが、そのことは同時に福島の規模の地震や津波が高浜や大飯に発生する危険性よりも北朝鮮などの国との有事の際にはミサイルによって高浜や大飯が標的にされるということを心しておかねばならないということであると考えている。ちなみに私の住まいは高浜原発から15km圏内にある。
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2012年4月23日月曜日

目的と目標(その2 プロゴルファー 藤田寛之)

昨日、4月22日、今季2試合目にして早々とつるやオープンで藤田寛之プロが優勝を果たした。私(弊社)は2006年から藤田プロと専属キャディの梅原敦さんにジェルトロンのショルダーベルトのご利用を頂き、何かとご縁をいただいています。18日(水)も練習ラウンドとなるプロアマに同行させていただき、待ち時間に話をさせて頂いた。

4月24日号の週間パーゴルフに藤田プロと河瀬プロの師弟対談があり、その中の藤田プロのコメントの「賞金王を魅力とは思わない。なぜなら、賞金をいくら稼ぐかという問題は後からついてくるものであって、それよりも勝ち方とか、藤田寛之というプロファーに対する評価、そのあたりをもっと高めたいな。プロゴルファーとしての自分をもっと磨いて、周囲に何らかの影響を与えられるような存在になりたい。・・・・プロゴルファーは大勢いるけれど、『話を聞くならあの人に聞きたい。』『あの人なら本当のことを教えてくれそうだ』という存在になりたい。」という記事を読ませていただき、賞金王という目標ではなくプロゴルファーという表現手段をもって、人を喜ばせて人生を幸せに生きる(人の喜び=自分の喜び)という人生の目的を明確にもっておられることに感銘した、旨を伝えさせていただいた。藤田プロは「そうでしたか、ありがとうございます」と謙遜しながら答えてくれました。私はこのやりとりの中で、今年の藤田寛之は一段と強くなりそうだ、という予感を感じ、そしてその予感が直ぐに結果として現われたのが昨日の優勝であった。藤田プロの強い勝ち方には確固たる人生の目的意識の表れがいたるところに存在していたと思う。

藤田プロはGDOの優勝のインタビューで「優勝よりも生きざまやプレーから何かを感じてもらいたいです。一生懸命やっている姿から感じてもらう方がうれしいですね。40過ぎて頑張ってるねって言ってくる人には、皆さん自分なりの悩みがあると思うんです。僕は頑張っている姿を見せ続ける立場にいる。みんなもそれを見て頑張る。そこにプロゴルファーでいる意味があると思うんです。勝ち負けは自己満足、通過点にすぎないと思うんです」。と答えている。

私はいつも、目的と目標を明確に分けて考えることを徹底するようにしている。目的の的は「まと」であるから到達すべきところであり、目標の標は「しるべ」であるから通過しなければならないところ。要するに的に向かって進む上で確実に通過しなければならない標という捉え方が重要であり、目的のない目標は脆弱であり、命をかけるには値しないものと考えている。まさに藤田プロは、「勝ち負けは自己満足、通過点に過ぎない」と表現しているところに、勝つことや賞金王というポジションは目標として捉え、ゴルフという表現手段で人を喜ばす(人へのお役立ち)という目的を達成しようと努力を重ねていると改めて感じさせていただいた。

勝ち数や賞金は全て数字で表現できるが、人を喜ばすということを数字で表現することはできないものである。私は講演会などで「目的と目標の明確な分け方が解らない」という質問を頂いたとき、必ず『数字で表現できるものは殆どが目標であり、目的には成り得ないものであり、また目的であると錯覚してはならない』と答えている。
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2012年4月4日水曜日

目的と目標(その1 大学進学)

4月になって、日本中で入学式が開催されています。学生のみなさんは、それぞれ希望に満ちたスタートとなっていると思うのですが、果たしてどれだけの大学生が入学時点で自分の人生の目的を意識してその大学に入学してきたのでしょうか?入学時点では明確な答えを持ち合わせていない場合が殆どでしょう。(少なくとも基本的な4年間という在学期間で自分の好きなことを見つけ出すことができれば人として幸せな人生の要素となる仕事に繋がっていくとは思いますが・・・)

日本や韓国では「なぜこの大学に行きたかったのか」と尋ねると、多くの学生は明確な答を即答できないことが多いのです。私は講演をさせていただくときに、聴講いただく方が学生や社会人に限らず必ず「目的と目標はどちらが重要だと思いますか?」と質問します。どこでもほとんど約80%の人が目標と答えるのです。日本人の多くは子供の頃から、親、家族、友人等から目標ばかり問われて目的なんて問われたことがないから仕方ないのかもしれません。子供の頃から親に「東大は日本で一番いい大学だから東大に入学すればいいところに就職できる、そしたら人生安泰だよ」と言われ続けていると、いつのまにやら親も子供も「東大入学=素晴らしい人生」という構図が頭の中を支配するようになってしまうのです。そしてなんとか東大入学を果たしても、しばらくすると何を求めて、何のために東大に入学したかを考えると東大=幸せな人生ではないことに気づくものです。あくまでも東大入学は目標であって目的には成り得ないのです。だから目標校と言いますが目的校とは言いませんよね。

目的の的は「まと」ですから目指すべき最終ポイントであり、目標の標は「しるべ」ですから、あくまでも通過しなければならないものであり、そこに留まってはいけないのです。車のナビでも目的地を設定すると途中の通過地が表示されます。これが道標(みちしるべ)となり、この標を通過して進むことにとによって効率よく目的地に到着することができるのです。

我々は社会人となっても、多くの人が「何のために働いているの?」と質問されるとなかなか即答できる人がいないのは、目的を人生の中に見い出せていないからだと考えます。目的をもって大学に行くことは18歳の時点で素晴らしいことです。しかし目的が明確でないまま大学に入ったとしてもその大学という目標校で学ぶ過程で自分自身の適正に気づいたり、発見したりして人生の目的を明確にすることが大切だと思うのです。

私は人を喜ばせることが大好きで、人から褒められたり感謝されることに大きな喜びを感じます(これは誰もが持っていることですね)。「人を喜ばせて自分が喜ぶ」、という生き方を実践することが私の目的で、そのために様々な商品を開発するという目標を通過していくことにも楽しさを感じています。そしてお客様から「あなたの作った商品(ジェルトロン)のおかげで痛みやしびれが減った」「ぐっすり眠れるようになった」等のお礼のお言葉やお手紙をいただけることに大きな幸せを感じます。

現在弊社ではこの私の考え(理念)を共有してくれる従業員という仲間によって毎日の活動をさせていただいており、とてもありがたいことと感謝いたしております。
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2012年2月6日月曜日

有言実行

古来より日本人は、「不言実行」を美徳としてきた。私も子供の頃から不言実行の生き方をするよう親から言われ続けてきた。母親が言うには他人に対し公言したことが実行できなかったら、恥ずかしい思いをするし、信用を無くす。だから誰にも何も言わずに秘かにあることを行っていて、あるとき突如として素晴らしい結果を出して人をびっくりさせるほうがいい、というのである。しかし私自身は「不言実行」の生き方に違和感を感じることが多く、「有言実行」の生き方のほうが自分らしいと考えてきた。

特に弊社のようなベンチャー系のビジネスは夢を語り、その実現に向けて努力する過程を公開し続けてこそ協力者や賛同者からお力を貸していただけるということになる。アメリカ人などは特に有言実行の生き方が常識化しているからこそベンチャービジネスが育ちやすいといえると思う。
ここで「有言実行」に関連した言葉として、四つが挙げられるので、私なりにランキングをつけてみると1 有言実行、2 不言実行、3  不言不実行、4 有言不実行の順序となる。

1.有言実行・・・言葉にして表現したことは必ずやり遂げる。やり遂げるということは、すぐに結果が出なくてもやり続けるということ。だから、やり続けている過程で一生を終えることがあっても、世間では「言ったことができなかった人として、ダメな奴」とは言わないものだ。ほとんどこのような場合は「志しなかばで・・・」と評するものである。それに有言実行の何よりも素晴らしいのは、言葉に表すことにより、自分以外の人からの協力を得ることができる。そして様々な助けや情報を得ることができ、自分が描いた以上の成果を導き出すことができるものである。但し、これには重要なポイントがある、それは言葉に表す内容は必ず人を喜ばすことを目指すものであらねばならない。ここには利己的ではなく、お役立ちという「利他の心」が根底に生き続けていることが重要で、それができていれば必ず最適な協力者のご縁が得られるように自然法則はできていると信じている。特に21世紀のネット社会において、情報が世界を巡っている現在こそ有言実行の生き方が相応しいといえると考える。

2.不言実行・・・自分一人で考え、誰にも言わず実行するということは協力者を得ることができないばかりか、もう既に誰かが実行して失敗をした結果が出ているのに、視野の狭い自分だけの情報の中で考えているから、最新情報を得ることができないまま、あまり意味のない取り組みをしたりするものである。要するに社会的に徒労に終わるケースが少なくない。素晴らしいアイデアが浮かんだとしても、自分だけという一人の考えでは、どれだけ人の役に立つかと考えてみても所詮自分の人生観の域を脱することはできないことに気付くことが多いものである。要するに自己満足の域を脱することができない生き方になると思う。でもこれが、まだマシなのは人に迷惑をかけないということくらいである。と、思ったら大間違いの事例があった!「賢者の贈り物」という童話がそれである。ある貧しい夫婦が互いに愛する相手にクリスマスのプレゼントを手渡すというもの。

クリスマスの日、夫は自分の大切にしていた懐中時計を売り、そのお金で妻への髪飾りを買った。妻は自慢の長い髪を切り、それを売って夫の懐中時計につける金の鎖を買った。そしてお互い相手の喜ぶ顔を思いながら帰宅して、まず夫は妻の髪が短くなっていることに驚いた。「どうしたんだ!なぜ自慢の髪を切ったの?」と聞くと妻は「髪を売ってあなたに送る時計の鎖を買ったの。」と答えた。すると夫は「私は時計を売って君に送る髪飾りを買ったんだ。」と答えた。相手を思いやる、とても愛情あふれる夫婦の物語として紹介されているのでその点は同意するが、お互いに相手が望んでいるものを言葉にして確認していたらこのような結果にはならなかったのである。相手を驚かせる楽しさは理解できるが、多くの場合計画通りにいかないことのほうが多いのが人生である。だからこそ言葉を操ることができるそわれわれ人間はしっかりと言葉に出して表現することが自然の法則にあった生き方と言えるのではないかと考える。

3.不言不実行・・・何も語らず、何もしないということなので誰にも迷惑をかけないからいいじゃないかということになるが、生まれてきた喜びを感じ、人生を楽しく生きるためにもこの生き方はお勧めできない。人は一人では生きていけないし、周りの人と支えあって生きるようにできているものである以上、この生き方は人として寂しい生き方ということになる。「人」という文字の成り立ちを考えても支えあうことが基本であり、意思を伝えることが人間社会の第一歩と言っても過言ではないと考える。

4.有言不実行・・・言ったことをやらない、というのでは嘘つきということになる。これを繰り返していれば人に迷惑を掛け、だんだんと良いご縁が遠退いてしまい、信用を無くすことになる。是非ともこの生き方は慎まねばならないと思う。しかし、残念なことに現在の民主党政権はこの生き方に近いと感じているのは私だけであろうか?
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2012年1月6日金曜日

2012年は宇宙志考で!!

新年早々、マヤのカレンダーが2012年12月22日で終わっている、ということで世界中で様々な情報が発信されています。マヤのカレンダーは紀元前3114年8月13日から始まっていますから約5126年の時を表していることになります。マヤのカレンダーの私の考えは、そろそろ地球の自転と公転に変化が発生するタイミングに来ていると言うことです。

例えば地震でも太陽フレアによっても自転に大きな影響を受けます。例えばそれらの影響を受けて1日当たり1分の自転の遅れが生じたとします。1年で約365分=6時間5分遅れるわけですから、4年に一度の閏年が2年に一度にすることによって公転周期が正しく調整されることになるわけです。また、太陽フレア等の影響によって公転軌道に乱れが発生した場合はすぐさま365日6時間という現在の周期が崩れてしまいます。

要するに今、私達ががなんの疑問も持たないまま使っているカレンダーが使えなくなることになります。誰も自転や公転が変化するであろうことは考えもしないだろうし、少なくとも自分が生きている間には起こり得ないと考えてしまっていると思います。

しかしながら、私たちの体内時計は1日を約25時間にセットされていることをご存知でしょうか?数年前の日本睡眠学会での発表の中でも人間の体内時計は25時間±10分であるとの実験報告がなされました。また興味深いのは、新生児が生まれてから約3ヶ月の期間の睡眠と覚醒のリズムは確実に25時間のリズムを刻んでおり、3ヶ月過ぎた頃から徐々に現在の地球の自転リズムである24時間に順応していくように変化していきます。

人間が地球に発生してから約600万年が経過しているといわれています。その時間の中で人間が記録した資料の最古ともいえるマヤのカレンダーでさえも、ほんのわずかな5126年にしか過ぎません。この5126年をひとつの時間的パッケージとして考えると、600万年の中に何度このパッケージが繰り返されたかというと 6,000,000÷5,126=1,170 ということになります。ですから記録が残っていない1,169パッケージの地球は25時間の自転で活動していて、その1169パッケージの中で私たちの25時間という体内時計が完成され、現在のこの1170回目のパッケージのみ24時間の自転活動になったとして考えてみることが大切だと思うのです。

要するに現在の自転と公転活動こそが異常であると考える視点を持ってみることです。そうすれば想定外と思っていることが正常かつ標準であるという発想が生まれてくると思います。この発想はまさに宇宙志考と呼ぶにふさわしいと考えています。「志考」というのは志向と思考の造語で、単に何かに向けた志という志向ではなく、また深く思い考えるという、どうしようもないことに対する悩みにも通じるような思考ではなく、夢や希望を実現するという強い志を持ってその方策を考えることであります。この「宇宙志考」で2012年を取り組めばとても多くの希望や夢が実感でき、さらには実現できると思うのです。

詳しくは私の著書「寝ても眠れない日本人へ」をご一読いただければ幸いです。
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