ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2015年12月5日土曜日

チベットでの出会い㊤

私は肉体を魂の住処としてとらえていますので、輪廻転生という考え方を大切に受け止めています。私は学生のころから、現世以前にチベットで僧侶として暮らしていたという記憶があり、その確認のためにもチベットに行くことを念じ、30半ばで実現することができました。チベット行きが決まってからの一ヶ月間、チベットの風景など何度も同じ夢を見ました。
チベットに着いた私は、さまざまな場所を見に行きました。驚いたのは、寺院や住居、道路など、まわりの景色が夢で自分が見ていたものとほぼ同じものでした。
 それに、本来自分が戻るべき場所に来たという安心感というようなものを感じるのです。
 自分が夢で見ていた景色と同じものを見るというのは、デジャビュといわれます。既視感と訳されるこの現象は、科学的には「以前に一度いった場所の記憶が残っているだけだろう」と見なされ、とくに意味がないとされる現象ですが、私にとってのチベットは、大いに意味があるものとなりました。
 そんなデジャビュばかりが目の前に現れてくるチベットの寺院で、ひとつの出会いがありました。
 ある寺院を訪れたとき、100mくらい離れた裏山で鳥葬が行われており、望遠レンズで写真を撮っていると、背後から英語で「Hello」と声を掛けられたのです。振り返るとそこには年老いた僧侶がいました。チベットでも高僧になると英語でコミュニケーションができる人が多くいます。
そしてその高僧は鳥葬について「死者の体は内蔵、肉、骨に解体され、すべてこまかく砕かれており、今からその儀式を担当する僧によって護摩が焚かれます」と説明をしてくださると、白い煙が空高く一筋の柱のように登り始めました。
 するとどこからともなく一羽の「はげわし」がその白煙の柱の根元をいつくしむかのようにやさしく弧を描き始めたのです。それは、仲間に食事の準備が整ったことを知らせる合図であったようで、多くの「はげわし」が次々と思い思いの弧を空に描き始めたのです。そして序々に高度を下げ、地上に舞い降りると、短い時間に食事を済ませ空高く飛び立っていったのです。
 死者の肉体をより細かく解体することは、地上に一片の肉体をも残さないようにするためであり、それにより死者は「はげわし」と共に天に上り、鳥の糞となって地上に戻り、肥料として植物を育てそれを動物が食べる、という輪廻転生に似た自然のサイクルに乗ることになるのだと教えてくれました。
 ここで私はひとつの疑問が解けました。
 それはチベットのラマ寺院に行くと、必ず教典と共に人体解剖の書がおかれていたことです。鳥葬をより完全なものにするためには、高い解剖技術が必要不可欠なのです。
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