ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2019年8月23日金曜日

マハトマ・ガンジーの寛容の心

多々見市長のオフィシャルサイトにある、私の決意には「市民がまちに誇りを持ち、行政と一緒に元気なまちづくりを頑張ろうと思ってもらえる土台、企業に投資や連携をしてまちづくりを手伝ってもらうことのできる土台ができ、持続発展可能なまちづくりの基盤が整い…人と人とのつながりを大切にする中で…」とありますが、一市民としてこの内容に疑問を感じるだけでなく、不安を感じてしまうのは私だけでしょうか。なぜなら舞鶴市広報誌5月号の「ドクターTのひとりごと」の内容と議会答弁からは「人と人とのつながりを大切にする」という強い思いが伝わってこないからです。あくまでも人と人とのつながりとは、一人ひとりのつながりが基本であり、そこには一人の小さな意見にも耳を傾けるという寛容という心の広さと優しさがあってこそ成り立つものであり、多数を占める集団という単位でのつながりではないと思うからです。

市長の公約に「住んでよし、働いてよし、訪れてよし」とありますが、市長が来賓等で出席される会合等において必ずクルーズ船の来港数や交流人口と経済人口の増加を話題にされますが医療環境に関しての話はほとんど聞けません。「訪れてよし」が優先されてしまい、市民が主人公である「住んでよし」という最も大切なことが忘れ去られていると思うのは私だけでしょうか。市長の顔色を気にし、忖度しながらの形式的な市民対話ではなく、より良いまちづくりを目指す純粋な一市民との対話なくして「住んでよし」の舞鶴が実現できるとはとても思えないのです。市長から見て、自分にとって耳の痛い考え方や意見を排除し、市民へ誤解を与えたことの反省もされない現状では正しい市政運営は成り立たないと思うのです。日を増すごとに、議会答弁において市長が自分の言動に対して「市職員など議会の仕組みを知っている人は、内容の間違いを指摘できないと思う」と断言された市職員の方々からも複数の市長の間違いや問題点が私のところに届いています。残念ながらこれら心ある市職員の方々の意見が市長の耳に届かないのは、届かない仕組みづくりと対応を市役所内でなされているからではないでしょうか。さらに先日驚いたことが発生しました、市長が来賓として出席されたある会合の席で「私は舞鶴の経営者の中でパシフィックウエーブの田中啓介を恨んでいる」とお話しされたとのことが私の耳に届きました。録音されていたわけでは無いので一字一句が発言通りではないかもしれませんが、私に対してよほど腹を立てていらっしゃることは理解できました。先月のこのコラムでも書きましたがFMまいづるの私の番組「寝ても眠れない日本人へ」に対する検閲的な行為も含めて、市長の言動に一市民として恥ずかしさと悲しさを感じてしまいます。

学生のころからの友人の兄であり弊社の株主でもあった原丈人氏が現在、内閣府本府参与という内閣総理大臣のブレーンというポジションで活躍されているのですが、原氏は決して総理のイエスマンではなく、常に地球規模の視野で提言をされており、時には総理にとって耳の痛い意見もあるはずですが、総理はその意見に耳を傾けるだけの心の広さを持っておられるということだと理解しています。舞鶴市にもこのような機関を設置するくらいの心の広さを市長に持っていただけたらと思います。それには市議会議員の皆さんにも同じく、公平で公正な寛容という心の広さと優しさを大切にした行動をお願いしたいと思うのです。特に公明党議員の方々には党の公約にある「小さな声を、聴く力」を実践いただきたいと願っています。議員という前に心ある一人の人間として、党利党略や自己の保身が優先されるような議会運営を正す勇気をもって行動して頂きたいと思うのです。約9年前の舞鶴市議会を見た時のことを思い起こすのですが、当時の斎藤市長に対する罵声やヤジで埋め尽くされたかのような、議会の目的を逸脱した酷い有様は市民として悲しさを感じるものでした。広義に解釈すると現在の舞鶴市においても少数意見に対して同じような行為が進行しているように思うのですが市民の皆様は如何お考えでしょうか。

「市長の生き方」と題して6月と7月に寄稿したこのコラムについて、先日家族から「いつまでこんなことをやるの?やったところで何も変わらないと思うし、何もお父さんがやらなくてもいいんじゃないの?」と訊かれました。

この言葉の中で「やったところで何も変わらない」というフレーズに今の舞鶴を映し出していると感じた次第です。より良いまちづくりを目指そうとしても小さな一人の力ではどうしようもないという諦めの思いを若者が抱いている限り、舞鶴の未来に希望を見出すことはできないと思うのです。改めて政治というものの原点には小さな意見を受け止める寛容の心が不可欠であると強く感じる出来事でした。

8月6日の広島平和記念式典で広島の松井市長は「平和で持続可能な世界を実現するためには、ガンジーが言及する寛容の心を持つことが必要」と話されました。ご存知の通りガンジーはインドの独立と民主化を進めるにあたり、立場や考え方の異なる人々を「寛容」の心で受け止めることが重要であると唱えた人物です。

未来に希望の持てる舞鶴のまちづくりを考えて頂く機会にしていただきたいと願い、ガンジーの残した名言をご紹介させて頂きます。

〇重要なのは行為そのものであって結果ではありません。行為が実を結ぶかどうかは、自分でどうにかできるものではなく生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信じることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのです。

〇たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。

〇良心の問題に関しては、多数決の法則は適用されないのです。

〇握り拳と握手はできないのです。

〇過去は私たちのものだが、私たちは過去のものではない。私たちは現在を生き、未来をつくる。たとえその未来に私たちがいなくても、そこには子供たちがいるのだから。

私は多々見市長に握り拳を開いていただき、共により良い舞鶴を作り上げて頂くことを願っています。