ジェルトロン開発者・田中啓介のブログです。

2019年9月27日金曜日

本音と建前

22日に開催された「今の市政にひとこと言いたい 市民のつどい」に参加させて頂いた。約100名の市民によって、今の舞鶴市をより良くすることを願って意見が述べられた。中には京都府内の市政の議会傍聴を長年続けておられる方が長岡京市から意見を述べに来られていた。その方によると他市に比べると舞鶴市はマシなほうだとの発言がなされた。ある市においては少数派の意見自体が議会で述べにくい状態にあるが舞鶴市は少数派でも意見を述べる機会があるからマシだというのである。マシだから現状のままでいいのではなく、府下の各市の手本となる議会運営を目指すべきだと私は思う。

また、出席いただいた中村弁護士によると、市長のコラムに対して「少数派を含めた多くの意見を聞いて熟考し議論を重ねた末に、それでも意見がまとまらない時に多数決という手段で物事を決定するのが民主主義であって、ほとんど議論をせず多数派の意見を通すために多数決を用いるのは間違っている」との見解も示された。

市議会答弁に於いて、市長は「識者等であれば私の間違いは指摘できない」と発言されているが、今日現在までに市長派与党の市議会議員や市内の識者といえる著名な経営者の方々から、「本音を言うと市長のコラムの内容は確かに間違っていると思っている」というお声を多く頂いている。しかし直接声に出して公に意思表示されることはなく、建前優先の対応をなされており、これが大人の世界というのなら悲しいことであると思ってしまうが、私自身も家具の小売店を営んでいた時なら、お客様のほとんどが舞鶴の方々なので、様々な考え方のお客様がいらっしゃることを考えると、今の私のようにハッキリと本音を語らないようにしていたかもしれない。なぜならそこには人として大切な「利他」という尺度よりも、我利という金儲けの尺度を優先していたからなのだと思う。

さらに、市内の医療従事者の方の意見では、舞鶴医療センターの医師の減少に伴い医療科目が減り、この数年間で550床のベッド数が半減したとのことであった。また数年前なら助かっていた患者が専門医の不在により適切な医療対応ができないために亡くなるケースが多いこと、さらには緊急で重篤な患者は舞鶴では対応できないためドクターヘリで豊岡に搬送されている現状が語られた。「医師である私が市長になれば現在の医療体制を改善する」と力説されていたにもかかわらず、改善どころか悪化の一途をたどっている医療体制の現状を考えると、市長のコラムの最後にある「公約を実現できる候補者を選んでいただきたい」という一文に市長自身はどうなのかと、この8年余りの公約不実現の実績を問いたい思いである。舞鶴の街中には8年前から「赤ひげ市政を正す」の看板があるが、今日現在「市民で赤ひげを正さなければならない」現状があるように思う。

市民の尊い命が失われているという報告を聞いて、改めて市長の責任の重さを考えた。

市長自身、昨年4月大相撲舞鶴場所の土俵の上で倒れた時、女人禁制の土俵に上がった勇気ある女性看護師による心臓マッサージによって一命をとりとめた。この時なされた「女性は土俵から降りてください」という場内アナウンスに日本全国から非難が殺到した。さらにマスコミは「相撲界のしきたりに縛られ、社会の現実に対応できていないためだ」と相撲協会を批判した。勧進元(発起人)の四方八洲男氏は「人命が大事か、しきたりが大事かというと、人命が重い」と発言されている。また伝統を重んじる相撲協会でさえも「どんな時も、しきたりより人命が第一」と謝罪のコメントを残している。

舞鶴市議会の暗黙のしきたりを重んじ、少数派の意見を排除するような身勝手な答弁を市長が繰り返している限り、いつまでも尊い人命が失われ続けることになると考えるのは、考え過ぎなのだろうか?

市長の公約にある「住んでよし」の舞鶴を実現するためにも、市長派与党を含む全ての市議会議員をはじめ市内の識者や著名な経営者の方々にも、私達一市民と共に本音で市長に意見を述べて頂きたいと願うばかりである。そこには釈迦が唱えた「利他」の心を実践する勇気が必要になるのだが…。